曾我平九郎
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山本周五郎 短編作品
発表年 | 発表誌 |
昭和 8 (1933) 年 | キング |
著者名 | 作品名 |
山本周五郎 | 曾我平九郎(そがへいくろう) |
時 と 所
戦国時代 清洲城下
主な人物
- 曽我 平九郎 先代信秀(のぶひで)の出頭人曽我俊斎(しゅんさい)の子、年は二十六歳 信長の御使番で、槍の達者
- 若菜 信長の侍女、しかるべき者の娘であったが今は孤児(みなしご)
Memo
【織田 信長(おだ のぶなが)】
桶狭間の戦いから清洲同盟へ 尾張統一を果たした翌年・永禄3年(1560年)5月、駿河の戦国大名・今川義元が尾張へ侵攻。 駿河のほか、遠江・三河を支配する義元の軍勢は2万とも4万とも号する大軍であった。 織田軍はこれに対して防戦したが、総兵力は5,000人。 今川軍は三河の松平元康(のちの徳川家康)率いる三河兵を先鋒にして、織田方の城砦を次々と陥落させていった。
織田家の危機に際して信長は静寂を保ち、深夜、幸若舞『敦盛』を舞った後、装具を身に付け出陣し、まず熱田神宮に参拝。 その後、善照寺砦で約4,000人の軍勢を整えて出撃。 今川軍の陣中に強襲をかけ、義元を討ち取った。 永禄3年(1560年)5月19日に行われたこの合戦を桶狭間の戦いと言う。 総大将の討死を知った今川軍は、本国駿河に潰走していった。 ...
ウィキペディア(Wikipedia)より
収録本
出版社 | ISBN |
新潮社 新潮文庫 | 978-4101134550 |
タイトル |
山本周五郎 『人情武士道』 文庫本 | 収録作品 |
曾我平九郎 癇癪料(かんしゃくりょう)二十四万石 竹槍(たけやり)念仏 風車 驕(おご)れる千鶴(ちづる) 武道用心記 しぐれ傘(がさ) 竜(りゅう)と虎(とら) 大将首 人情武士道 猿耳(えんじ) 家常茶飯 |
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人情武士道 (新潮文庫)
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